礼拝メッセージ


 

 

5/19のメッセージ 使徒3:22₋26

「預言者達の子孫 サムエル」

 

次世代を生み出す祈り サムエルの母ハンナの祈りは切実でした。彼女の熱心な祈りがサムエルという偉大な預言者を生み出しました。ナオミやマリアの祈りと同じです。信仰による祈りは次世代を生み出していきます。サムエルの人生は祈りから始まり、祈りで満ち続けました。▶サムエルの祈り テモテ2:1に勧められている祈りはまさしくサムエルの祈りです。彼は王たちのための祈り人でした。「願い」とはそのまま神様に対する求めであり叫びです。ハンナの祈りと同じです。「祈り」とは神様に近づき、コミュニケーションの中に入ることです。サムエルは幼い時かからこの訓練を受けました。「とりなす」とは神様の心を一緒に担うことです。主の痛みや苦しみ、愛を自分のうちに宿すことです。「感謝」はもっとも力強い祈りです。まだ見ていないことさえも信じる、信仰による祈りです。彼はこの祈りでサウルとダビデのために祈りました。▶預言者たちの子孫 そして聖書は、私たちがこのサムエルをはじめとした預言者達の子孫であると語ります。自分の地域、国を憂う心と神様の前にとりなす心を、その信仰的なDNAの中に与えられているのです。ですから祈りましょう。地域のため、国のため、国のリーダーたちのために。なぜならその中で私たちは神様の心を求めはじめるし、神様との交わりの中に入るからです。そうして祈りはさらに力強く変えられていきます。あなたは預言者の子孫です。

 

 

5/12のメッセージ  ローマ8:28

「神の不思議な計画 ルツ」

 

神の摂理 士師たちの時代に起こった一つの家族のストーリーです。夫と二人の息子を失ったナオミは故郷のベツレヘムに戻ります。そこで義理の娘がお世話になったのが「はからずも」ボアズでした。失意のナオミに、神様の恵みは変わらずに注がれていました。ボアズは買い戻しの権利を持っていましたが、それを行使できるかはもう一人の権利者の判断に委ねられました。すべてが神様の摂理でした。▶損得を超える愛 ボアズにとって買い戻しの権利を行使することは得にはなりません。持ち物はすべてナオミに帰属するからです。彼の動機は損得を越えた愛にありました。イエス・キリストの十字架の愛のひな型です。本来ならイスラエルの祝福の外にいた異邦人(汚れた血筋のモアブ人)であるルツが、ナオミの血筋に入ったのです。神のあがないの愛は、同じように罪の中にあるものを救い出し、自由にするのです。▶ルツの告白このストーリーの大きなキーポイントがあなたの神は私の神」というルツの告白です。彼女の告白が、神様の計画を大きく進めました。彼女個人にとっても大きな選択でしたが、この後のイスラエルの歴史においても重要な選択でした。ダビデ王に、そしてその子孫であるイエス様につながる系図をルツがつなぐ様になるからです。同じように、私たちが主に従うことを決心する時、それは私たちの意図や計画をはるかにしのぐ、神様の大きな計画につながっていくのです。

 

 

 

 

5/5のメッセージ  士師記16:16‐17

 

「ナジル人のように」

 

▶サムソンは生まれながら「ナジル人」と呼ばれました。ナジル人とは、神様に自分をささげたしるしとして酒、汚れたもの頭に剃刀をあてないことで神様の前に自分を聖く保つ決心をした人です。彼は母親のおなかにいる時から神にささげられた人でした▶しかし、実際の彼の歩みは汚れたものに近づき、汚れた者を食べ、女性に弱く、風貌以外はとてもナジル人らしくありませんでした。それでも神様は、ここぞというときに「力強く」聖霊を彼に注ぎ、力を与えたのです。彼自身が頭にかみそりをあてないことによって、かろうじて神様と聖さによってつながっていたからでした。▶聖書は私たちに聖さによって神につながることの重要さを教えています。クリスチャンはみな、霊的なナジル人です。それは、酒を飲まないとか汚れたものを避けるというような行いによる聖さではありません。それはイエス様が十字架の上で完成されたからです。主は私たちの内側を見られます。サムソンは神様よりも力や欲を選びました。その時彼から完全に力が失せました。聖さを求めなくなれば、私たちはただの弱い者なのです。▶私たちを聖く保つもの、それは悔い改めです。悔い改めによって主につながり続けることは、毎日ナジル人として歩むことと同じです。今自分が行っていることを振り返り、その動機がどこからくるか確認しましょう。主はへりくだって主に従う者に力を注ぐお方です。

 

 

4/28のメッセージ  士師記6:11-16

 

「ギデオン 常に立ち向かう」

 

次へギデオンは、イスラエルの部族の中でも小さな部族出身でした。ギデオンは自分を弱い者と感じていました。しかし神様はこの弱さを強さに変えられました。弱いものは主を求めるからです。神の声を聞いたギデオンは「なぜですか」「どのようにしてされるのですか」「しるしをください」となんども主に尋ねます。弱いからこそ神の力としるしに頼ったのです。神様はこのようなものを愛されます。そしてその弱さに注目するのではなく、神を求める信仰ゆえに「勇士よ」と呼びかけます。次へ新約聖書ではこの勇士というこばがへブル人への手紙に出てきます。目に見えないものを信じた信仰者たちのことです。かれらはギデオンのように敵をうちまかしたのではありません。ひたすら主を信じて信仰の戦い、霊的な戦いをした人々です。彼らが信じたのは神のことば、約束でした。次へギデオンの時代も、今の時代も、神のことばに立ち続けようとする者を傷つけ滅ぼそうとする力にあふれています。その影響力は力があります。決して簡単なたたかいではありません。私たち自身が弱さを自覚し、謙遜に主を求めなければ足元をすくわれかねません。恐れる必要はありませんが、常に臨戦態勢でいることが肝心です。時代の変わり目、新しいことが起こるときだからこそ、神の霊のうちに保たれなければなりません。目を覚まし、祈り続けましょう。

 

 

 

4/21 メッセージ

 

 

 

「復活のニュース」 

 

「あの方はよみがえられました。ここにはおられません。」  マルコ16:1-7

 

どんでん返しの知らせ   弟子たちもマリアたちもイエスの死を目撃しました。墓に葬られるところを見ました。それはあり得ない出来事、思い描いていたものとは違う現実でした。墓に行くまで、彼らが見ていたのは事実そのものでした。しかし神様が見せたかったのでは彼らが見ていた現実ではありません。空の墓と天使の知らせは、私たちの計画や思いをはるかに超える、神様からの最高に良い知らせ、これから先の計画でした。②新しい季節の幕開け  イエス様は十字架の上で「完了した」と叫ばれました。イエス様が地上でなすべき全ての働きは終わりました。人類に対する神からの全ての裁きは取り去られました。あとは父なる神様が定めた復活から始まる、再臨に至る新しい時代へと進んでいくのです。復活の知らせは、まさしくこの新しい時代に入ったという宣言だったのです。③私たちはこの恵みの時代を生きています。キリストの復活こそ、私たちの信仰の土台です。福音は、復活にこそ本質があります。「もうだめだ、なんの希望もない」と思う時にこそ、神様の力は働きます。あなたの失敗も、恥も、取り返しのつかないと思える罪さえも、神様は取り去って、新しい人生へと変えることが出来るのです。イエス様の復活。これこそが私たちの信仰の根拠であり、何よりの証拠なのです。ハレルヤ!

 

 

 

 

 

4/7メッセージ 士師記3:7-11

 

 「恵み深い神  士師オテニエル」

 

次へ試練としての困難 モーセの後を継いだヨシュアも死に、イスラエルにはもはや戦いを知っている世代はいなくなりました。荒野ではすべてを主に依存していた民でしたが、約束の地についてからは世の富と偶像に依存し始めました。私たちの信仰生活においても同じ危険があります。神様は私たちがどんな状況でも主に従うように、あえて困難を通らせることもあるのです。しかしそこには私たちに対する期待と、必ず助け出してくださる用意があります。主は恵み深いかただからです。次へまだ占領できていない土地 別の角度から見ると、イスラエルはカナンの地を得、部族ごとに領土を分配されましたが、小さい地域においてはまだ未占領の地がありました。私たちも霊においては永遠の命を得ましたが、肉においてはまだ罪を影響を受けています。悪い習慣や生活パターン、考え方や思いの分野は、クリスチャンになったからと言ってすぐに完全になるわけではないからです。私たちの人生は悔い改めの連続です。そうやって主なるイエス様に似た者に変えられていくのです。私たちはいつも、イエス様にきよめられる必要があります。次へ士師に力を与える イスラエルの叫びを聞いて、主はオテニエルに力を与えました。同じように、私たち一人ひとりに力を与えます。人々の叫びに答えて、主は働かれます。主の力を主を信じる者に、その力を与えます。あなたも士師のように、神の器です。

 

4/28のメッセージ  士師記6:11-16

 

「ギデオン 常に立ち向かう」

 

次へギデオンは、イスラエルの部族の中でも小さな部族出身でした。ギデオンは自分を弱い者と感じていました。しかし神様はこの弱さを強さに変えられました。弱いものは主を求めるからです。神の声を聞いたギデオンは「なぜですか」「どのようにしてされるのですか」「しるしをください」となんども主に尋ねます。弱いからこそ神の力としるしに頼ったのです。神様はこのようなものを愛されます。そしてその弱さに注目するのではなく、神を求める信仰ゆえに「勇士よ」と呼びかけます。次へ新約聖書ではこの勇士というこばがへブル人への手紙に出てきます。目に見えないものを信じた信仰者たちのことです。かれらはギデオンのように敵をうちまかしたのではありません。ひたすら主を信じて信仰の戦い、霊的な戦いをした人々です。彼らが信じたのは神のことば、約束でした。次へギデオンの時代も、今の時代も、神のことばに立ち続けようとする者を傷つけ滅ぼそうとする力にあふれています。その影響力は力があります。決して簡単なたたかいではありません。私たち自身が弱さを自覚し、謙遜に主を求めなければ足元をすくわれかねません。恐れる必要はありませんが、常に臨戦態勢でいることが肝心です。時代の変わり目、新しいことが起こるときだからこそ、神の霊のうちに保たれなければなりません。目を覚まし、祈り続けましょう。

 


 

4/21 メッセージ

 

 

 

「復活のニュース」 

 

「あの方はよみがえられました。ここにはおられません。」  マルコ16:1-7

 

どんでん返しの知らせ   弟子たちもマリアたちもイエスの死を目撃しました。墓に葬られるところを見ました。それはあり得ない出来事、思い描いていたものとは違う現実でした。墓に行くまで、彼らが見ていたのは事実そのものでした。しかし神様が見せたかったのでは彼らが見ていた現実ではありません。空の墓と天使の知らせは、私たちの計画や思いをはるかに超える、神様からの最高に良い知らせ、これから先の計画でした。②新しい季節の幕開け  イエス様は十字架の上で「完了した」と叫ばれました。イエス様が地上でなすべき全ての働きは終わりました。人類に対する神からの全ての裁きは取り去られました。あとは父なる神様が定めた復活から始まる、再臨に至る新しい時代へと進んでいくのです。復活の知らせは、まさしくこの新しい時代に入ったという宣言だったのです。③私たちはこの恵みの時代を生きています。キリストの復活こそ、私たちの信仰の土台です。福音は、復活にこそ本質があります。「もうだめだ、なんの希望もない」と思う時にこそ、神様の力は働きます。あなたの失敗も、恥も、取り返しのつかないと思える罪さえも、神様は取り去って、新しい人生へと変えることが出来るのです。イエス様の復活。これこそが私たちの信仰の根拠であり、何よりの証拠なのです。ハレルヤ!

 


 

 

 

4/7メッセージ 士師記3:7-11

 

 「恵み深い神  士師オテニエル」

 

次へ試練としての困難 モーセの後を継いだヨシュアも死に、イスラエルにはもはや戦いを知っている世代はいなくなりました。荒野ではすべてを主に依存していた民でしたが、約束の地についてからは世の富と偶像に依存し始めました。私たちの信仰生活においても同じ危険があります。神様は私たちがどんな状況でも主に従うように、あえて困難を通らせることもあるのです。しかしそこには私たちに対する期待と、必ず助け出してくださる用意があります。主は恵み深いかただからです。次へまだ占領できていない土地 別の角度から見ると、イスラエルはカナンの地を得、部族ごとに領土を分配されましたが、小さい地域においてはまだ未占領の地がありました。私たちも霊においては永遠の命を得ましたが、肉においてはまだ罪を影響を受けています。悪い習慣や生活パターン、考え方や思いの分野は、クリスチャンになったからと言ってすぐに完全になるわけではないからです。私たちの人生は悔い改めの連続です。そうやって主なるイエス様に似た者に変えられていくのです。私たちはいつも、イエス様にきよめられる必要があります。次へ士師に力を与える イスラエルの叫びを聞いて、主はオテニエルに力を与えました。同じように、私たち一人ひとりに力を与えます。人々の叫びに答えて、主は働かれます。主の力を主を信じる者に、その力を与えます。あなたも士師のように、神の器です。